もう20年以上も昔の話ですが、高校生だった妹が強姦され、一週間後に自殺しました。
男は捕まり裁判となりましたが、執行猶予付きの判決でした。
金持ちの息子で、謝罪も形だけの一度きり、反省の様子もなく町で女の子に相変わらず声をかけているのを何度も見ました。
私は『この男を殺さないとさらに犠牲者が出ることになる』と思いはじめ、大学を休学して男の日常をつけ、登山ナイフを買い、殺すことを考え、行動していました。
夏の暑い日、いつも通り「男」をつけていると、妹の事件で顔見知りになった刑事さんに突然後ろから、はがいじめにされ「もういい、後は警察の仕事だ、人生を無駄にするな」と・・・・・。
別の女性から被害届が出て刑事さんが捕まえに行くところだったのです。
男は3年の実刑ののち、家族と他県へ転居したと聞きましたが、今でも殺してやりたいくらい憎いです。なんの落ち度もない愛する妹が若くしてこの世を去り、犯罪者がのうのうと生きていける社会は、どうしたっておかしい・・・・。
推理作家の西東登氏の作品「蟻の木の下で」のプロローグにある言葉を忘れることができません。
『愛は限りがないというが、憎しみもまたそうであろうか?』
長文をお許しください。
===補足===
ベスト回答をいただきありがとうございました。また、私の心情に拍手をいただきました参加者の皆さんにもお礼を申し上げます。
私は「憎しみ」も当然ながら、妹の無念を晴らすことができないジレンマを抱いてこの間、生きています。愛するたった一人の妹を守ってやれなかった、自殺にまで追い込んでしまった責任を加害者以上に背負わなければならない現実が辛く、そして憎いのです。
匿名のこの場を借りて、意見を申し上げることができ、感謝いたします。ありがとうございました。