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・= 子どもが親を憎むことについて =・

程度の差はあると思いますが、子どもの頃は皆、親を憎んだり嫌いだと思ったりした経験があるのではないでしょうか。

「反抗期」という言葉があるくらいですので、子どもは親(あるいはまわりの大人)に対して否定的な感情を持つことを、ほとんど義務として課されているのでは、と考えます。

だから子どもは親を憎んでもいいのに、子どもは許されていることと知らず、親に憎悪を向けることを罪深いと感じる。
これは子どもにとって、まったく割りに合わないことだと思います。

なぜ親は子どもに、自分を憎んでいいのだと教えない(示さない)のでしょうか?

親が子どもから憎まれるという心痛は不可避なものです。仕方がありません。
でも、子どもが親を憎むことによって罪の意識を持つというのは、受けなくてもいい罰を、みずから進んで受けているようなものではないでしょうか。

  • 質問者:富士山麓鸚鵡啼く
  • 質問日時:2010-01-11 22:14:30
  • 0

子供が大人になった後に、親に向けた憎悪を「罪深く感じる」のは良いことではないでしょうか?

それだけ大人になり、親の気持ちを理解できるようになった証ですので。
そこまでわかれば今度は「親孝行」できるのではないでしょうか?

子供が憎い親はいません。不幸にして児童虐待に走る「傷ついた子供のまま」の親を除き、子供を愛し、成長することを願っています。

ただその愛が成長期には疎ましく、重く感じるために「反抗」することもあります。
そしてそれは「親から自立する為に必要なこと」です。

もしからしたら愛情が多い程、反抗も激しいのかも知れません。
だとしたら成長した後は、大いに罪を感じて、大いに反省した、親孝行すれば良いのです。

それが真っ当な人間の姿ではないでしょうか?

===補足===
おっしゃるのは成長過程において、自分を怒った親に対する憎しみ(怒り)の感情及びそれを「罪」と感じてしまうことですね。

どうでしょう?成長過程においてはそれも「あり」ではないでしょうか?
親に対して憎んだり、その心を自らが恐れ「罪」を感じたり・・・

それが思春期であり、それが人間の成長過程であるような気がします。
私自身もそうですが、大人になるって、年齢を重ねたから自動的になる訳ではなく、成長しようと努力し続けなければならない部分が多いのではないでしょうか。

その過程では、迷ったり、戻ったり・・・色々あった気がします。
親を恨んだこともありますし、勿論感謝したことも多々あります。親もそうじゃないかと思いますよ。

私自身、今子供の親として厳しく怒ったり、優しく褒めたりと忙しい毎日です。
そして子供を怒る際には、真剣勝負で怒ります。

その瞬間は「今は子供に恨まれてもいい、いずれわかる時が来る」との思いがあります。もしかしたらそれは10年先、20年先、あるいは生きてる間は来ないかも知れませんが、どうしても伝えなければならない、あるいは教えなければならないことは厳しくぶつかって行きます。

それが親だと思います。
繰り返しになりますが、児童虐待に走る一部の人を除き、多くの親達は子供がカワイイです。他人なら言わないことまで、我が子には言いたくなります。

何故なら、親は何より子供が自分の力だけで生きてゆけるようになることを望むからです。
そのために自分がこれまで生きてきて得た知見や世の中の正しいこと(と思えること)をとことん伝えたいのです。

個人的には親孝行は、自立できた後の話だと思ってます。
自分の力で生きる意味が分かってからでないと、本当の親孝行はできないのではないでしょうか?

だからこそ親孝行は世間で評価される美徳である気がします。

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回答ありがとうございます。

>子供が大人になった後に、親に向けた憎悪を「罪深く感じる」のは良いことではないでしょうか?

もりもりさんのご意見は、
・子どもが大人になった後、つまり子どもが親と同じラインに追いついたとき罪悪感を持つこと― ≪肯定≫
では、
・子どもが大人になる前、親と同じラインに立てないときに罪悪感を持つこと― これについてはどう思われますか。

>もしからしたら愛情が多い程、反抗も激しいのかも知れません。

そうだと思います。
親の子に対する厳しい態度は、深い愛情の裏返しであることもあります。
親が子どもをしつけるのは、そもそも、善悪や常識を子どもに教えるため、他人の痛みがわかる人間になってほしい、と願ってのことです。
そして、他人(ひと)様に迷惑をかけるような人間にならないようにと……すべては子どものまっとうな人生のためです。
この過程で、親は子どもに対し、ときには厳しく接しなければならない場合があります。
親の気持ちがわからない子ども、聞き分けのない子どもに対し、親はゲンコツやビンタを食らわすこともあります。
子どもに正しい道を教えたいという願いが大きければ大きいほど、親の厳格さは増す傾向にあるとも言えます。

>子供が憎い親はいません。

親は、自分の厳しさが子どもに(一瞬でも)怒り・悲しみ・憎しみを抱かせることになり、また、それらが自分に向けられることを承知の上で、それでも「愛の鞭」を振るうわけですよね。
だから、質問文では「親が子どもから憎まれるという心痛は不可避なもの」としました。
憎まれ役を買ってでても、親は子どもに愛情を注ぐのだと思っているのですが、多くの場合は「親の心子知らず」です。
ゲンコツやビンタなど、親から食らった子どもは、そこにこめられた意味(願い)より、身体的な痛みのほうにショックを受け、理不尽だと感じ、ますます親に歯向かいたくなったり、親を憎たらしく思ったりしてしまう。
しかし世間(世の中の常識)では、親を尊敬し、親孝行することが奨励されている。
そういった「美徳」と、自分の胸うちを照らし合わせたとき、親への反抗・憎悪を抱く子どもは「自分は悪い子だ」という罪悪感を抱く。

つまり、親が子どもに愛情を注ぐことと負の感情(憎悪や反抗)を教えることは表裏一体でもあると思うのですが、では何故、親は子どもから愛を返される(親孝行される)ことしか望まないのでしょうか。憎まれてもいいと思って厳しくするのではないのですか。
それとも、ほかに何か、親なりの考えがあってのことでしょうか。
お聞きしたいのはこの部分です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
補足ありがとうございました。
成長過程のこと、親としての子への思い、親孝行について
詳しく書いていただき感謝いたします。

「罪悪感も、罪悪感を乗り越える強さも、自分で気づき学ばないといけないから」
それが今もっとも近い答えです。
(しかしまだ、何かある気がするのですが…)
   (執拗でゴメンなさい。。(ーー;) )

親の思い、子どもの思いは、時にすれ違い錯綜してしまいますね。
でも、親は子どもにとって「親」であると同時に「人生の先輩」でもありますから、やはり親の思いのほうが優先されるべきもの、と思いました。
それが道理に合っています。
人生経験の分だけ、正しさも常識も道徳性もその他さまざま、より深い思いがあるのですし…。
それに、親は「教えない」けど本当は教えてくれていて、子どもが気づけていないだけなのかも…、
子どもが罪悪感を持つ過程、そして自分で親の本意に気づかなくてはいけないことも含め、すべてが、ある意味仕組まれた(言葉が悪いですが、悪い意味でなく使っております;)ものなのかなぁ…、

などとも思いました。

子どもが大人になって、自立して、親と同じラインに立てる日が来たとき、当時〈親━小さい子ども時代〉の、わだかまりみたいなものがスコーンとどこかへ去っていて、すんなりと親と向き合えたら…これに越したことはないです。

並び替え:

そういう反抗期に様々な感情を持ち、自分で考えることで成長していくので、その段階で親が手助けすべきではないからだと思います。

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子どもはどのような様々な考えを持ち、自分で何を考え、成長するのでしょうか。
親はどういう意図で手助けしないのでしょうか。

確かにそうかもしれませんね・・・。
未成年のうちに「憎む」という感情をのり越えることを知っておかないと、大人になってから変なタイミングで反抗期がおとずれてしまいそうで怖い気もします。

親を「憎む」ということは、裏を返せば親に期待しているということだと思います。
「私の親はこうであってほしい、私の親はもっとすごいはずだ」、と。
理想に近づいてくれない親を恨んで、そして無意識にそんなことを考えてしまう自分勝手な己に苛つくことが反抗期なんだと思います。

誰かを憎むこと、そしてそれを受け入れることで人間は成長するのですから、人を憎むことは決して罪ではありません。質問者様の意見に共感します。

  • 回答者:ここっと (質問から5日後)
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回答ありがとうございます。
親への「憎しみ」や「反抗」が期待の裏返しであること、憎しみを受け入れることで成長する、といったご意見、興味深く読ませていただきました。
もっともお聞きしたい点は「親が子どもに自分を憎んでいいと教えないのは何故か」なのですが、どう思われますか。
>未成年のうちに「憎む」という感情をのり越えることを知っておかないと、大人になってから変なタイミングで反抗期がおとずれてしまいそうで怖い気もします。
親は子どもに憎しみの感情を自分で乗り越えさせるために(子どものうちに)、あえて教えないのでしょうか。

多少なりともあると思います。

自分の人生に行き詰った時に、それは親のせいだ、と思うときがあると思います。

私も、もっとお金持ちの家だったら、もっと都会に住んでいたら、なんて思ったこともありましたが、

今となっては愛情を持って育ててもらえたことに感謝しています。


しかし、愛情を持って育ててもらえなかった子供は、ずっと親を恨むことになるのではないかな・・・と思います。逆に過保護すぎて、疲れてしまった場合とか…

  • 回答者:看護師 (質問から2日後)
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子供が親に腹が立ったり.イライラと反抗したりという反抗期はあります。
自立心が芽生えてくると起こるのが反抗期ですが..親を憎むのと反抗期とは違います。
子供は親を憎んでもいいのではないです。

人間が人間に憎しみの心を持つ事自体がとても悲しい事で良くない心です。

腹が立つ.思い通りにならないので親にぶつかり反抗するけれど憎しみは持つべきでは
ないのです。
怒りの根源が.また怒りの対処法が自分で見つからないので親に逆らって反抗する
行為なのです。

自分は親ですが子供に私を憎んでいいとは絶対に言いません。
人を憎むという事が愚かな心だと考えます。

親に反抗して腹立てて親に罵倒したり暴力を振るったりして罪悪感を持たない子供を
そのままにしておく事はいけないです。
罪悪感を持ち.少しずつ人を許したりする方が成長していると思いますから。
柔軟性を持たなければ世間では通用しないです。

  • 回答者:匿名希望 (質問から3時間後)
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回答ありがとうございます。いろいろ考えさせられました。
ですが、その前に、まず憎悪という言葉が引っかかっておられるようですので、それについて少し説明を付け足します。
(子どもには、親から叩かれたりゲンコツを食らったりした瞬間、「嫌い」と思うだけ、あとは親愛の情を抱いている者、その反対で、ときどきしか親に好意を抱けず、断続的な嫌悪を向けている者、もっと甚だしければ、半永久的に親を憎み続けることしかできない者……と様々です。
ですから「程度の差はあると思いますが」としました。「反抗」や「嫌悪」や「憎悪」を同じフィールドにおさめようとすることじたい、おかしいことなのかもしれませんが、根本的にはすべて「負の感情」と分類できるものです。
憎悪と反抗は違うものだということはこれまで回答してくださったかたがたも仰っていますが、ここでは「反抗」であれ「憎悪」であれ、「親に対する負の感情」というふうに一括りにしております。)

さて、回答してくださった文章から、

罪悪感を子どもが持つことはいいことである。
親や周りの大人に反抗しても、罪悪感を抱いて反省を繰り返し、人を許すことが人間的な成長へ繋がる。
子ども時代の罪悪感が本人にとってのプラスになる。
よって、大人は子どもの罪悪感を放置する。

というふうに受け取りました。

>人間が人間に憎しみの心を持つ事自体がとても悲しい事で良くない心です。
>自分は親ですが子供に私を憎んでいいとは絶対に言いません。
>人を憎むという事が愚かな心だと考えます。
>柔軟性を持たなければ世間では通用しない

とても立派な考えだと思います。
この世界が、憎悪も怨恨もなく全てがまっさらであったならば、おおいに賛成できます。
でも実際の世の中は、そうではないです。人を陥れたり踏みつけにしたり、愚かで汚いことが横行しています。
そして同時間・同空間に、愛や友情や尊敬など、人間の素晴らしい部分も存在します。
世界とは、「善」と「悪」、「正」と「負」が混在して成り立っているわけです。

親もまた、同じではないのですか。
「暴力」や「痛み」を、人間(子ども)に最初に教えるのは親です。
でもそこに込められている多くは、子どもへの「愛情」です。

「柔軟性」(世間で通用する柔軟性)を子に教えるために、親が「憎しみ」(反抗)を子どもに植えつけている事実を、親自ら全否定する。
親は、子どもに「愛」と「憎しみ」(反抗)を与えるのに、子どもからは「愛」しか受け取ろうとしない。
子どもは、親が受け取ってくれない「憎しみ」(反抗)を自分のうちに戻し、それを「罪悪感」に変える。
親は、その「罪悪感」から人を許す心を自ら知るべきだとし、子どもの「罪悪感」を放置する。

「人間が人間に憎しみを持つ心が愚か」だとするのは、私には矛盾に思えてなりません。
憎しみを持つ心が愚かであったなら、愛も愚かです。

いったい、「柔軟性」というのは、混在するもののどちらか一方を否定し、打ち消すことで身に付くものなのでしょうか。

義務として課されてるんじゃなくて、反抗期という子供によく見られる現象をそう名付けただけです。子供は親を憎んでいいわけじゃなくて、そういうことを経験して情緒を発達させるものだと心理学者が分析したんです。

「俺は親を憎むのが当然なんだ」なんて思った時期もありましたが、大人になった今考えると、非常に幼稚な考えだったと思います。そんな考えは何も生み出しません。

もしあなたが、まだ子供であるなら、まだいいですけど、その考えのまま大人になったとしたら、非常に残念です。

  • 回答者:親か (質問から12分後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
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回答ありがとうございます。
この考え(子どもは親を憎んでもいいという考え)を持つようになったのは大人になってからです。

>「俺は親を憎むのが当然なんだ」なんて思った時期もありましたが、大人になった今考えると、非常に幼稚な考えだったと思います。そんな考えは何も生み出しません。

逆でして、子どもの頃は「親を憎む自分は悪い子である」という罪の意識があり、大人になってからその意識が不要なものだったことに気づいた場合のことです。
親は子どもというちっぽけな存在に憎まれることは別に構っちゃいません。ちっぽけな憎悪を向けられたとしても、丈夫な身体はびくともしません。
ただ心がつらいですが、罪深さに打ちひしがれる子どもよりは楽です。
子どもが持たなくてもいい罪の意識により幼い精神を縛られることのほうが問題ではないかと思います。

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