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質問

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私は起立性調節障害です。
私の症状は吐き気、めまい、眠気などです。
最近全然学校に行けてない状態です。

私はストレスでなったのか、普通に自律神経の異常でなったのかわからないです。
今の私の悩みは、私は学校に行きたくないのかです。

正直私は行きたくないと思っています。行きたくないとは思っていますが、行事ごとは行きたいと思えるのでがっこうそのものは嫌いじゃないと思ってます。
普通に学校で生活するのが嫌なのかもと考えました。
確かに学校生活いろいろありはしましたが、今は気にしてません。
学校生活はぶっちゃけめんどくさいとは思います。
でも、めんどくさいとは思いますが、めんどくさいと思うのは起立性調節障害からくる体調不良があるから動きたくなくてめんどくさいと思っているんだと思っています。 

自分でもわからないのですが、ほんとになぜか行きたくないんです。
前日は行かなきゃって思っていこうとしてるのですが当日になると体調も悪くいきたくないと思ってしまいます。
私は病気から治っても学校にいけないのかと思うと、不安です。
不登校にはなりたくないです(もう不登校の域にはいってしまっていますが、、、)
私はなぜ学校にいけないのでしょう。
私はなぜ学校に行きたくないのでしょう。
わかりません。

  • 質問者:優
  • 質問日時:2016-11-17 14:36:30
  • 0

精神や肉体に何らかの障害が起きた場合、二次的に様々な問題が起こります。
症状による実害ではなく自分が感じるショックや周りの反応などです。
それにより、精神が極端に不安定になる事は普通にある事だと思います。
また、さらに弱った心により、これまで普通に出来ていた生活習慣が
継続できなくなってしまう三次的な問題もあると思います。

今日の病院は"病名"を出す事で"安心"を与えます。そして、
安静にする薬を処方して、精神の波が静まるようにしてくれます。

つまり、二次的な問題は病院である程度対処してくれますし、
その時間稼ぎにより、他の二次的な問題も、時間がかかる事もありますが
次第に収まってくると思います。

しかし、一次的な障害の対処、さらに三次的な生活習慣の復旧は
自分で乗り越えなくてはなりません。他の誰にもできないからです。

自然同様、運命とは理不尽なものですね。
しかし、人間の心は"柔軟"だと思います。様々な状況に適応し
自分で考え、自分を律し、自分の物語を紡いでいけるようには出来ています。

緊急事態を脱し、身体の調子が良くなってきたり、心に余裕が出来てくると
次第に、将来の不安や罪悪感が芽生えてきます。
実は、これこそが一次的な障害に対処し、さらに三次的な生活習慣の復旧の為に必要な
"こころの力"("柔軟"さの現れ)だと私は思います。

これを不快なものと感じるのは、ちゃんとそれを直視せず、
"問題を目標に置き換える作業"をせずに放置している為だと思います。

つまり、逆境に在って、生き抜くために、
"今までは仕方ない、で、これからどうするか"
という"気持ちの切り替えのきっかけ作りと、その後の困難を克服する"ために
"不安と罪悪感"が心に沸いてくるとのだと私は思うのです。
"点火剤と燃料"と言い換えても良いかもしれません。

焦りは禁物ですが、
湧き上がる不安や罪悪感をそののままにしておけば、
徐々に心はさらに複雑に不安定になっていきます。
その内に、本来何が問題であったかすらも分からなくなります。
今回の質問(「私はなぜ学校に~」)は、そんな心の現れだと私は思います。

重ねて書きますが、焦りは禁物です。ですが、
今、まさに"学校に行く”って言う事がそれにあたるのではないでしょうか?
"不安"に突き動かされていますよね?

不安や罪悪感を放ったままでは、その後の人生で出会う楽しみは
その場は楽しくても、すぐに不安に覆われてしまい十分に味わえなくなります。

ですが、正しく、"不安と罪悪感"を"切っ掛けと目標"に変換し
歩みは遅くとも、一歩一歩達成していくことに歩を進める事が出来たなら、
その過程でも十分に楽しみを楽しみと味わうことが出来、
さらに、その先には、それまで感じ得なかった自信を実感できるようになると思います。

病気や障害とは、神のお告げでも、自然の摂理でもなく、
つまるところ、ただの偶然・不運だと思います。
でも、これはある意味、チャンスだと私は思うのです。上手く生かすことで
あなたの人生は、平凡な人生では知る事も無かった
一味違ったもの"物語"になるのではないでしょうか。

ある意味、"個性"とは、己が置かれた状況に対して、
どの様な"自分物語"(自分と周りを納得させえる物語)を構築していくのか
という事かもしれませんね。

この駄文が、あなたの今後に、微力でも参考とならんことを。

===補足===
少しでも参考になれば幸いです。
ちなみに、焦り=不安ですよ。

例えて、ある物語の中で、不安を放っておいて、
目の前にある刺激だけを追う登場人物が居たとしたら、
その姿は、傍目から見て、カッコ悪すぎですよね。

周りの理解が得られなかったり、すべてが悪い方へ廻ってるな?
って、そう感じた時は、そんな配役を生きている可能性大です。
自分の行いを省みてください。なかなか気が付きにくいものです。

比べ、"未来の自分"に希望をもって、歩みは遅くとも、
"そこまでのマイルストーン"を一歩一歩踏んで行く姿は、
正に主人公の"ソレ"。"そこにシビれるあこがれる"ですね。

一歩目標を乗り越える度に、すべてが上手く廻っていきます。
気持ちよく笑え、その笑顔は周りの人をも幸せにします。

途中、何度も間違えたり失敗したりします。けど、それは
長い物語には必要な伏せん、肥やしだと思ってください。

未来の自分を信じて、そこにたどり着く正しい自分物語を模索し、
楽しく生きてくださいね。

この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

こんな私のために長文ありがとうございます。

焦りは禁物。それも忘れるぐらい学校に行けないことが不安でした。

でも、今回回答を見て焦っちゃダメだなってよく分かりました。

本当にありがとうございました。

とりあえず今は、起立性調節障害を直してから、徐々に学校に行けるように頑張っていきたいです。

ありがとうございました。

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