無宗教の人と、特定の宗教を信仰している人の間があるんですが、
日本では、それも無宗教の人扱いになっているので、言葉の定義から初めなければいけないように思うのですが、
また信仰心があるという状態も、宗教に入れ込んで、勧誘するような人をイメージすることが多いので、それもまた偏ったイメージだと思います。
しかし、私のイメージだと、利己的な信仰をしている人は、熱心だけどやはり利己的です。道徳的っであるとか言うことに結びつかないと思います。
利己的でなければ、信仰は表には見えないものになると思います。
信仰があるようにも見えないと思います。
宗教が全くない状態では、道徳というようなものは語りにくく考えにくいと思います。しかし宗教を熱心に信仰しているように見えても、それが道徳心とかに繋がるかといえば、おそらく違うと思います。