すべてのカテゴリ » 趣味・エンターテイメント » 本・雑誌・コミック » 書籍

質問

終了

「ドグラマグラ」を読まれた方。感想をお願いします。読んでいない人は、ほかの質問に回答してあげてください。

  • 質問者:殺人の記憶
  • 質問日時:2009-07-22 23:55:51
  • 3

回答してくれたみんなへのお礼

おふたりともにベストカイトウヲサシアゲタカツタノデスガ、すみません。とてもサンコウニナリマシタ。

この本は凄いと思います。
脳髄はものを考えるところにあらず、人間も他の動物も大昔から祖先から受け継いできた細胞に刻まれた記憶によって思考活動を行っており、脳髄は単に各細胞から吸い上げられた情報をただ他の細胞に伝えているにすぎない・・・。
本当にそうかもしれません。
脳には記憶がないのにあるものに触ったり見たりしただけで手や足が記憶をよびおこすことがあるからです。この場合、脳にある記憶が先に蘇って手や足がそれについていくという感覚ではなくて、脳以外の細胞からの情報が脳に伝わって思い浮かんだという感覚の方があっているからです。
そして、なぜ、人間の精神がおかしくなるのかを考えるとき、これらのことが基になっていると考えれば合理的だし、「人間は元々は正常だけど、なんらかの原因が脳に負担になり異常をきたすのではなく、人間にはまともな精神の持ち主はひとりもいなくて、社会生活をおくり、いろんなことを学ぶうちに少しづつまともな精神に近づいていく」
という思想は、ある意味で偉大な哲学なのかもしれません。
長い長い階段を一歩づつのぼり、やがて人間は野蛮な祖先から受け継いだ忌まわしい記憶から解き放たれ、神や仏に近づいていくのでしょう。
「階段」は案外、もろいものなのかもしれません。
ちょっと足を踏み外すとまっさかさまに奈落の底へ・・・・こわっ!!

  • 回答者:らせん階段 (質問から21時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

並び替え:

この小説、読んだのは大昔なのであまり憶えてないのですが、
やはり仏教の影響を考えずにはいられませんね。
(実際に夢野さんはたしか一時坊主だったのかな?)

作品の持つ円環系の無限構造は、仏教の輪廻思想そのもの。

また主人公は始終他人の言説に振り回されてばっかりなんですよね。
これも仏教の縁と無我の思想そのもの。
そもそも私たちが自分というものを維持し続けているのは
自分の記憶によるところが多いのですが、本作の主人公にはそれがない。
だから他人の言葉に振り回され続けている。
でも生きるということは結局「縁」、すなわち他者との相互作用によって成立するものだから、実は普通に生きていること自体、いつルールを破られて破綻してもおかしくない、危ういものだとも言えます。

世界は正気と狂気の両面があり、その狂気の側面を面白おかしく描いたのが本作かなと思います。でも、あまり深く考えないで楽しむのが一番の作品だと思います。

  • 回答者:はれ (質問から11時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

関連する質問・相談

Sooda!からのお知らせ

一覧を見る