性善説にたつか、性悪説にたつか、でしょうね。
近所のおじさんが 子どもが危ないことをしている時に
思わずげんこつをして 「そんなことをしたら死んじまうぞ!」と
言うのも、体罰。
むしろアンタが性根を叩きなおされろ!と思うような若者が
通りすがりの子どもをガンガン殴って
「この子が○○していたから教育しましたよ」というのも
体罰。
法律には線引きが必要です。
それがかなりぼやけている場合は、裁判で争うことになります。
本当にその子のためを思って 思わず手が出てしまう行為があるとしても、
どこから許容されるのか、
どれほどの強さでげんこつしていいのか
決めるのは法律では無理です。
いわゆる「法になじまない」という状態です。
子どもはバカじゃないです。
本当に自分のために叱ってくれる人間のことは
後になってからでも、自分が悪かったんだと判断がつきます。
ただ、その子どもが、すでに小さいころから
人間として大事な教育を受けられない状態で育った場合は別です。
人の心が全く理解できないほど、
小さいころに愛情をかけてもらえずに、その状態が持続している子は
確かにいるんです。
貧富の差等、関係なく。
子どもたちがおかしくなったのは、心に救いがたい闇を抱えるようになったのは、
体罰が容認されなくなったからではありません。
体罰のあるなしに関係なく、大事なものを与えられなかった子どもが増え、
その子たちがまた 親になって子育てに入ってきたからです。
相談者様のおっしゃる通り、法律化なんてとんでもない話です。
ゲンコツが法的に保障されていようがいまいが、
両親、近所、学校、地域、さらに通りすがりの大人が
子どもに本気で向かい合わなければ
子どもなんてまっすぐ育つはずはないです。
もちろん、自分の命を危険にさらしても
集団のワルに大人が1人で立ち向かえとは言いません。
けれど、世の中のコンセンサスとして、「子どもは社会が育てるものだ」と
大人が思わなければ、現状は何も変わらないと思います。
先日、テレビで落合恵子さんが言っていらした、
「子どもにとって大人の存在はすべて環境問題なんです」という言葉は
その通り、重みがあると思いました。