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アフガニスタン紛争を簡潔にわかりやすく教えて下さい。
一体何が理由で誰と誰が争っているのか。。

  • 質問者:日本史専攻
  • 質問日時:2008-12-08 12:38:38
  • 39

回答してくれたみんなへのお礼

すごい!こんなに詳しく回答してもらえるなんて!
本当にありがとうございました。

全員にベスト回答差し上げたい気持ちでいっぱいです!!

冷戦後、米ソの直接的な軍事的介入が治まったのも束の間、
アフガニスタンは国際社会から見捨てられたようになり、無政府状態に陥りました。
各地に軍閥が出来て権力者も色々変わります。
しかも国内にはソ連軍が捨てていった武器が多数あるので
(基本的に撤退する部隊は武器を捨てて行きます。東南アジアの各国が独立戦争の際に
 日本軍が捨てていった武器を使用したことは有名です。)
容易に武力衝突が起こり、治安も更に悪化します。

そんな中、難民としてパキスタンに逃げた人達の息子世代がパキスタンで過激なイスラム思想を学び
(イスラム聖職者がパキスタンの学校でひたすらコーランを読ませることが「勉強」でした。)
「故郷」(見た事も住んだ事もないんですが)を立て直そうとパキスタン政府の援助も受けて
アフガニスタンに行き、各地を制圧して行きました。「タリバン」の誕生です。
最初、タリバンの制圧地域では治安が改善し民衆もタリバンを支持したそうです。
ですが、治安回復の次には圧政が待っていました。
タリバン達はアフガニスタンの長い歴史など知りません。
知ってるのは戦闘のしかたと原始イスラム教の教えだけです。
文明の産物や娯楽はごく一部を除いて禁止され、
1,000年以上昔のイスラム教成立時への回帰を目指す政策(と言えるかどうか)が取られました。

タリバンは言ってみれば大規模なカルト教団そのもので、
イスラムの教えを極端に解釈しそれに従うのが善、従わないのが悪と断定されました。
1,000年以上前に確立した教えを時代背景やその間の期間にあった事実を無視し現代に当てはめようとしたのです。
勿論カルト教団がよくやるようにイスラムの教えでも自分達に都合の悪い部分は無視し、
堂々とそれらの戒律を破りました。
(例えばイスラム教では戦争で敵兵を捕虜とすることは認めていますが捕虜を殺すのは禁じられています)

また、タリバンは経済問題などを棚上げして「全土制圧」を優先しました。
国民が苦しんでいるのに内政は全土制圧を達成してからやればいいと考えていたのです。
さすがに国際社会もタリバンのやり方を批判し始め、
彼らを援助していたパキスタンも言う事を聞かなくなったタリバンは手に余る存在になっていきますが
タリバンは国土の9割以上を制圧し暴走を続けます。
「客人」として迎え入れられたオサマ・ビンラディンも私財を投じ物資・設備面でタリバンを援助します。
特にアフガニスタンで彼が設けた兵士の訓練所はタリバンだけでなく
外国からもイスラム過激派がやってきて訓練を受けていたそうです。
もっとも、タリバン及びオサマはアメリカ本土に大規模テロをしかけるという暴挙に出て
アメリカの怒りを買ったのが運のつきで、その後アメリカや北部同盟の攻撃を受けて組織は衰退、
アフガンに跋扈する過激派の一つになってしまいますが・・・。

タリバンの指導者・オマルやオサマ、その他タリバン幹部は
本格的な攻撃が始まる前に仲間の兵を見捨ててとっとと逃げ、
地下に潜ってしまったためどこにいるのかなどの正確な情報は得られていません。
(「悪い奴ほど逃げ足は速い」とはよく言ったものです)
それで今でもアメリカが血眼になって探しているのですが・・・。

私としては「今」アメリカがやっていることは間違っていると思いますが、
オマルやオサマは捕まって戦争犯罪人として裁かれるべきだと思っています。
イスラムの教えを自分達に都合良く捻じ曲げ、
味方や無関係の人も含めて人の命を数え切れないほど奪ってきたのですから。
生きたまま火あぶりにでもすべきでしょう。

  • 回答者:私も日本史専攻 (質問から6日後)
  • 37
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

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まずアフガニスタンを舞台に行なわれた武力衝突は何度かあります。
その中で戦争と呼ぶべき物と紛争と呼ぶものがあります。
戦争とは基本的に国対国で行なう武力衝突を指し、
紛争とは小規模な戦争や国内勢力同士の衝突(内戦)を指します。

第1次アフガン戦争、第2次アフガン戦争は、
イギリスが今のアフガニスタンにあった王朝に仕掛けた侵略戦争。
第3次アフガン戦争はアフガン王朝がイギリスの植民地から独立した戦争。
これら一連の戦争は19世紀半ばから20世紀初頭まで約70年間行なわれた。

独立を勝ち取ったアフガン王朝(バーラクザイ朝)の下、50年ほど平和であったが、
1973年に無血クーデターにより国王は追放され、共和国となり大統領が治める。
しかし、5年後の1978年に4月革命と呼ばれる軍事クーデターが勃発。
このクーデターにより国は共産主義となるが、
各地でイスラム教徒の反共産主義ゲリラ戦が開始される。
翌年1979年、「共産主義政権を助ける」と言う名目でソ連軍がアフガンへ進行。
同年、ソ連派共産グループが中国派共産主義グループを殺害・排斥、
親ソ連国家色が濃くなり、ソ連軍が次々と送り込まれるようになる。
1989年にソ連軍が完全撤退するまでの10年間、
ソ連軍とアメリカの支援を受けた反共産主義イスラム教徒は戦い続けた。
ここまでが「ソ連軍によるアフガン侵攻」と呼ばれる時期です。

ソ連軍が撤退して後ろ盾が無くなった政府軍と反政府ゲリラの内戦はさらに泥沼化。
ソ連軍撤退の3年後の1992年政権は崩壊し、無政府状態に近くなり、
各部族単位で戦国時代さながらの勢力争いが激化する。
そんな中、急速に勢力を拡大して行ったのがタリバン勢力。
政権崩壊から4年後の1996年にはタリバンがアフガニスタンの大部分を制圧。
同年、タリバンに抵抗する部族勢力は北部同盟を結成して対抗するが、
2年後の1998年にはタリバンがアフガニスタン全土をほぼ制圧してしまう。
ここまでが「アフガン紛争、またはアフガン内戦」と呼ばれる時期です。

タリバンがアフガニスタン全土をほぼ制圧して3年後の2001年、
9.11アメリカ同時多発テロ発生。
翌10月には「アメリカを主力とする連合軍によるアフガン侵攻」開始。
翌11月には早くも首都陥落。
翌12月には年越しを待たずにタリバン政権は崩壊、カルザイ新暫定政権発足。
その後は、2008年12月現在に至るまで、
アメリカを主力とする国連軍がタリバン掃討戦を続けている。

  • 回答者:なるべく簡単に書いてみた (質問から7日後)
  • 15
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

アフガニスタンの歴史は、まさに世界史の縮図といってもいいでしょう。
複雑です。ですから、完結に分かりやすく説明することはできません。
アフガンの現代史が完結に論述できれば、東大の世界史の問題も
簡単にクリアできます(一応、高校の先生なんで。それくらい難しいということ)
まず、アフガニスタンが東西交易の要衝であるという歴史があるということは押さえておかなければなりません。
タリバンが破壊したバーミヤンの石仏などに代表されるよう、日本に伝わった大乗仏教の
通り道でもあったのです。
その地形は険阻の一言に尽きます。
山がちで険しい地形は様々な侵略者を阻んできました。
それでも、いろいろな侵略者に征服され、支配者が交代したわけなのですが。
そして、近代においては独立したパシュトゥーン人の王朝である
ドゥラニー朝が成立しますが、イギリスやロシアの帝国主義的なグレートゲームに巻き込まれます。
一度はアフガン戦争でイギリスの保護国になりますが、第3次アフガン戦争でイギリスから独立します。
現在でもそうですが、アフガンでは最新兵器も形無しになるくらい地形・自然環境ともに
過酷なのです。
当時の最強国であったイギリスですらアフガンを支配し続けることはできなかったのです。
第二次大戦後には、政治的混乱の中、ソ連の影響を受け社会主義政権が台頭し、
それを保護するという名目でソ連がアフガンに侵攻しました。
それに対し、アメリカは冷戦下のセオリーどおり反ソ連を名目に介入しました。
結果、アフガンは国内の内戦に米ソの冷戦の代理戦争が持ち込まれてしまいました。
アフガニスタン国内はパシュトゥーン人が最大勢力ですが、その他の民族やイスラーム教の宗派も
入り乱れる複雑な内情で、さらに王党派、共産主義者、反共産主義者というように
イデオロギー的にも米ソの影響下で
複雑に内部分裂してしまいました。
ソ連が撤退し、アメリカもアフガンから手を引くと、残ったものは疲弊した国土と
対立し憎しみあう国内勢力のみでした。
群雄割拠の中で、一時的に天下を取ったのが、イスラーム原理主義勢力の
タリバンです。
血みどろの抗争のなかで、厳格な宗教的グループが民衆から期待されたのは当然だったでしょう。
しかし、冷戦後の世界情勢の中でイスラーム原理主義勢力がアメリカと対峙するようになったことは、
アフガニスタンにも影響を及ぼします。
このあたりはアフガンだけの話では説明付きません。
とにかく、結果としてタリバンが反米的な姿勢をとったことが、更なる混乱を引き起こしたわけです。
ソ連のアフガン侵攻中に、アフガン内の反米勢力を物質的に援助しのはアメリカでした。
その際たる人物が、オサマ=ビン=ラディンです。
それが、反米に転じたわけなのです。
9・11テロの解決として、アメリカは目に見える敵をたたかなければ、国民に説明が付きませんから、
一番手っ取り早いアフガンを攻撃しました。
当然泥沼にはまりました。
100年前のイギリスとほとんど同じです。
一時的に占領できても、結果は撤退せざるを得ない状況に追い込まれるのです。
タリバンを撃退したとしても、反アメリカ感情がくすぶっている限りタリバン(やそれに類する勢力)は
よみがえってきます。
また、アメリカに一時的に協力した連中もすぐに反米に転じます。
一番根底にあるのは、侵略者に対する強烈な反抗心でしょう。
経済・宗教的な理由も絡んできますが、歴史的な蓄積といってもよいものです。

  • 回答者:長くてすいませんね (質問から4日後)
  • 12
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

アフガニスタンは、昔マルコポーロとか玄奘三蔵が通過した場所で風光明媚で、東洋のオアシスと呼ばれてましたが、いろんな民族がおり、この国は、元々日本的な一つの国ではありません。所謂多民族、多部族社会からなりたっており、1979年のソ連の侵攻・介入以来混迷を極めています。そこに、米ソ、パキスタン、中国等が表裏で介入して、現地の部族、農民が巻き込まれて、農業生産が大幅に低下、アヘン
等の商売が増えてきたのが現状です。従って、現在の混乱とテロ活動を一片の言葉で説明することは不可能です。

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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

今現在だけの事を言えば、建前上はアフガニスタンの中央政府といくつもの反政府勢力の争いです。
現在の中央政府は首都カブールを中心とした国土の一部しかコントロール出来ていなくて、辺境地域は事実上無政府状態の無法地帯になっている所も多いです。
そういう場所に、反政府ゲリラや犯罪集団、イスラム原理主義グループなどが勝手にそれぞれの地方を支配しています。
アフガニスタンの政府は非常に弱体ですし、そもそも9.11テロ前まであの国をコントロールしていた「タリバン」という勢力を、戦争しかけて追い出したのは米国ですから、表向きはアフガニスタン政府の代理として米軍がゲリラやテロリストと戦っているという構図になっています。
最近は米軍だけでは手が回らないので、NATOに属するヨーロッパ諸国の軍隊にも応援にきてもらっています。それとは別に国連も援助のための組織や人員を派遣しています。
反政府勢力やタリバンから見れば、現在の中央政府は米国の操り人形に過ぎないので自分たちの国の正当な政府とは認めない。国が米国に乗っ取られているのだから、まず米軍と戦う。米軍や中央政府に協力する者は、たとえ援助のためと言っていようが米国の手先だから、これも全部攻撃の対象になるわけです。
さらにアフガニスタンの中の勢力だけでなく、隣のパキスタンや他のイスラムの国からも、米国とその傀儡政府に乗っ取られたアフガニスタンを助けてやろうという武装勢力が大勢入り込んでいて、それぞれ別個に、時には手を組んで、米軍やアフガニスタン政府を攻撃している。
あれやこれやの勢力が入り乱れて、何が何だかわけがわからない状況になってしまっている。
現状を簡単に言うとこうなります。

  • 回答者:joker (質問から5時間後)
  • 10
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

昔はソ連とアメリカのドンパチだったのですが
今では2001年のアメリカ 同時多発テロの首謀者とされるタリバンを討つために
タリバンのいるアフガンを攻撃して タリバン政権を壊滅し、新に政府を立ち上げましたが
残党が新政府とドンパチやっているので 今でも紛争が続いています。

  • 回答者:匿名希望 (質問から4時間後)
  • 7
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

・アメリカの9.11航空機テロの首謀者が「タリバン=オサマビンラディン」だとして活動拠点のアフガニスタンで撲滅作戦をしている。これが現状です。
・アメリカとこれに協力している国・アフガン政府がタリバンと争っている。
簡潔に言うと以上になります。

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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

2つあります。
1つは1979年旧ソ連がアフガニスタンに侵攻したことです。

もう1つは、2001年にタリバンと呼ばれる反米テロリスト集団が米国で同時多発テロを起こし、これに対して、米国がウサマ・ビン・ラディンというテロの指導者が潜伏していると考えられたアフガニスタンに空爆を行いました。これによって多くの罪もないアフガニスタンの一般市民が犠牲になっています。米国は1日も早くアフガニスタン駐留を止めるべきです。国内経済が破たんしているのに、これ以上無意味な戦争に税金を使うことは愚かです。

  • 回答者:匿名 (質問から2時間後)
  • 9
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

冷戦時代、アフガニスタンは米国とソ連の代理戦争の場となっていました。
侵攻するソ連軍と、アメリカの支援を受けたゲリラ組織との戦争です。

冷戦終結後、アフガンからソ連(ロシア)は兵を引き上げましたがアフガン国内は混乱状態のままでした。
そのアフガンで政権を取ったのがタリバンです。
しかしタリバンはイスラム原理主義組織であったため、イラン革命後のイラン同様に強烈な反米国家となり、原理主義ゲリラやテロリストの巣窟となりました。
その上に地方軍閥が割拠していてとても安定した国家とはいえない状態でした。
そして9.11、米国本土のテロを引き金として”テロとの戦い”で第一目標とされました。
9.11の首謀者とみなされたビン・ラディンを匿っているとみなされたからです。
アメリカ軍とアフガンの地方軍閥が協力してタリバン政権を破壊、新政府を立ち上げました。
しかし新政府は米国のヒモ付きで力がなく、地上戦を戦った軍閥の武装解除にも失敗しました。
タリバンやアフガン内外のテロ組織も生き残っていて、今も親米新政府と駐留する米軍にゲリラ戦やテロを仕掛けています。
あまり情報が入ってきませんが、イラクより情勢は悪く、オバマ政権でもアフガンに米軍を増派すると言っています。

  • 回答者:ふみ (質問から2時間後)
  • 8
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

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