わたしの甥が去年クリスマスに自殺しました。
進学校の高校1年生でした。
姉は未だに悔いてやまないのですが
自殺の原因が自分のせいだと思い決め込んでいるようです。
実際、甥、本人は 実に 死亡時より1日と13時間前まで
わたしの家にいました。
探してもみつからないはず。
大好きだった塾の、裏山の藪で寒い中学生服のまま上着も着ないで
身をこごめてまるまり、落ち葉に埋もれて死んでいたから。
学校帰りに学生服も着替えずにくるようなタイプではなく
ふら~ときたのでなにかあったのかと聞いても
用事があったから寄ったと。。
姉に一応一報し、
カレーを3杯もおかわりして
寒いのにアイスを食べながら
2時間ぐらいケラケラ笑いながら 正反対のタイプのうちの次男とゲームをしてたんですが
ふと立ち上がり 「こんなアホになりたくなし勉強をしに帰る~」って
屈託もなくふざけて笑いながら
いつものようにきちんとありがとうと言って帰りました。
その後おばあちゃんちにも立ち寄り
少し話して帰り
最後に 仲良しの友達の家に寄り
そこではやはり進学校の子の家庭なので
結構叱られて追い返されたようです。
その後行方知れずになりました。
あくる日になり姉から電話がきたとき 身内や友達で必死で探したんですが
1週間後亡き人となり発見されました。
ニュースでは
「成績が下がったことを父親に叱られ・・」と報道されてました。
これは違いました。
田舎のいやな風習で
嫁である姉が何をいわれるかと思った兄の優しさのうそでした。
思いやりの深い、愛情あふれるいい家庭です。
原因は 本人にしか知りえぬことです。
姉のせいでも友達のおかあさんのせいでもない、
生きる気力を失っていて それで世話になったり楽しかった場所に挨拶廻りをして歩き死のうと出た甥の結果だったのです。
未だに 直前に気になる対応をしていた 姉も友達のお母さんも
ノイローゼになり苦しんでいます。
わたしもこうやって理由を探しては
なんで気づいてやれなかったのか、なんで何もできなかったことを悔い
日々苦しんでます。
自殺の止め方なんてないんです。
自分の甥をとめられなかったような情けないわたしが言うのは
変ですが
金持ちだけが潤った数字だけで
不景気が改善されているという風にだまされたままの社会に生きる
将来、安泰であろうという目処もつかぬ社会の病気がカタチを変えた姿が
自殺なんだと思います。
誰だって みすみす気の毒な人を見てみぬふりなんてしたくない、
けれど 自らの家庭内での安全を守るのに必死で
手をさしのべていきたくても
足元の、我が子や親なんかの心配でいっぱいで
どうしようもない状態なんだとつくづく今回のことで知りました。
今になりひとつ彼の自殺でとめられたかもしれないと思うのが
息抜きのできる場を、絶対に自分をうけいれてくれると思える人が
受け皿になり そこへ行けばだいじょうぶという場で在れたなら、
まいっか?と思える立場で居られたなら
「いいかげん」良い加減さが
備わってたなら死なずに済んだように思え悔やまれてしかたないです。
几帳面ながんばりの強さでなく
挫折したときに、やりなおせる大雑把な勇気と強さを子どものときに持つことができるような 受け皿の多い社会になっていけば
なんとななるさと思えるんだと思いますが
今の選挙のことだけしか頭にない政策では 無理でしょう。
こういう問題って
なにをどう行動していけば改善されるものでないと思います。
甥の死因は服薬自殺で
異様とも思えるぐらい頭の良い甥が市販の薬を調合し、こさえたものでした。
ネットで情報がはびこりニュースでは
その所業を、言わなくていいことまで報道し自殺のやりかたを教えてしまう。
過激な報道や情報が、
おっとりした姉や兄を
半ば世捨て人のような人物に変えるのに拍車をかける。
知らなくていいこと見なくてもいいことを伏せるのも
自殺の予備軍を止める ひとつの、為さざるをして為す
そういう事なのではないでしょうか。
長々失礼いたしました。