今言われているように、年齢が幾つになったら食い扶持を減らすため、
山に捨てられるということは、なかったと思います。
病気で寝付いてしまって働けなくなった、薬代がない、ということならあったと思います。
子供の頃から育った場所にある山に捨てられても帰ってこれると思います。
老人の共同生活所のようなものはあったと思います。
姥捨てよりも口減らしという生まれたばかりの子供の口をふさいで窒息死させる、
子供はいつ神様に返しても良い(親の都合で殺してよい)という罪悪感から逃れるためだけの、
身勝手な考えの方が余程恐ろしいです。
親は大切にと教育され育つので(働き手としてなど)姥捨ては心理的に難しかったと思います。
亡骸を山に捨てる(土に返すというこれも身勝手な言い訳)ということはあったようです。