独裁者待望論を語られても困ります。
選択肢が極端です。
===補足===
意図はないのは、あるいはそうかもと言う程度には想像できます。
でも、そこで力強いヒットラーが出れば飛びついでしまうと事、間違いなしです。
それから、責任を取るなんて簡単に言ってますが、大きな政治的決断に関しては、どうやったって個人が責任なんて取れないです。死んだ人を生き返らせらせますか、
数兆円と言った巨大な負債を返済できますか。責任なんてどうやって取るんですか。
サッチュー在任中ずっと独裁者と罵られていましたね。勿論サッチャーはヒットラーではありませんが、傾向としてはそうです。
議論をするなという話ではないつもりです。
イライラするからって、カッコいい強いリーダーを求めるのは、諸刃の剣と同じで危険な面も大きいということです。
そういうことを諌めるのは、いい大人の義務だと思いますので、黙ってはいられないと思うだけです。
独裁者待望論になる質問でしょうか?
では、どういう質問だったら待望論に見えないのでしょうか?
そういう意図はありませんでした。
菅さんとサッチャーを比較した記事があったので、
それを参考にしました。
サッチャーさん=独裁者ですか?
補足
回答ありがとうございます。
責任といってるのはこの場合、自分の発言の責任をとるということです。
他のことのせい、誰かのせいにしないということです。
どういう状況であっても、死んだ人の責任なんてとれる人はいません。
誰だってできないことを求めるのは違うと思います。
自分の決断の重さを身をもって示せる人です。
今じゃそれさえ持てない政治家のほうが多いです。
こういう質問も待望論だからしてはいけないというなら、
どのような質問であれば、待望論でなかったのか、
それをお聞きしたかったです。
何でも待望論に結びつけられてしまっては、
リーダーについての議論はしてはいけないということになってしまいますね。
しかし、あなたのような意見も確かにそのとおりです。
そういう自覚は常に持っていないといけませんね。