すべてのカテゴリ » ニュース・時事 » 政治

質問

終了

なぜ、これまで羽田は国内、成田は国際と分けてたのですか?
両方、国内も国際も就航していれば、羽田成田間の乗換が少なくて
便利なんじゃないですか?

  • 質問者:匿名
  • 質問日時:2010-10-23 11:54:21
  • 1

並び替え:

今回の「羽田空港」の拡大は本当におかしな話だと思います。今までの騒ぎは何だったのですか。

こんな単純なことさえも、今の日本の政治は仕切れないし、一貫した方針も出せないのかと本当になさけなくなっています。

最早、国の行政に頼ったり、当てにしたり出来ない日本になってしまったとつくづく感じたことでした。あ~あ~。

  • 回答者:あまのじゃく (質問から11時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
回答ありがとうございました。

一度成田に作った後には羽田と成田と区別したかったとかあったとか
しかし羽田から数便国際線ひいた後でも千葉や自民も圧力があったとか
日本のメイン国際線なのに深夜使用できないとかでよくアメリカやらヨーロッパのパイロットのアナウンスネタにされたとかあったとか・・・ って実際あったんだけど。

  • 回答者:あったとか (質問から50分後)
  • 1
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

1960年代になると、大型ジェット旅客機の増加に合わせ、高度経済成長などで年々増大する国際輸送についての航空機の重要性が高まった上、1960年代中に就航すると予想され、フラッグ・キャリアの日本航空も発注した超音速旅客機の就航により複数の長い滑走路の整備が必要とされたが、当時の国際線の主力空港であった羽田空港は手狭でした。
そのため、再拡張により航空需要に対応しようと検討が開始さましたが、沖合に拡張した場合
①東京港の港湾計画との調整が極めて難しい。
②当時の港湾土木技術では難工事になる。
③アメリカ空軍管制区域などとの兼ね合いから、航空機の離着陸経路の設定が著しい制約を受ける。
④仮に拡張できたとしても、空港の処理能力は20%~30%程度の増加に留まる。
などの理由から、羽田空港の拡張のみでは長期的航空機輸送需要に対応できないことが判明しました。
なので、新空港の建設と言う事で、横浜市八景島沖や千葉県富里町等の候補地が揚げあられ、最終的に佐藤総理大臣の時代の閣議決定で成田市に落ち着いた訳です。
元々は開拓地であって、人が以前は住んでいなかった原野だったので、用地買収がスムーズに行くと思ったからでしょう。
この空港地域にはかつて宮内庁の御料牧場もあったのですが、こちらはスムーズに用地を明け渡して貰ったようです。
御料牧場って言うのは天皇家のお食事を作る為の牧場・農作物を作る所なんですけどね、那須の御料牧場は今でもあるので、時々天皇家の人達が避暑に行く事があり、TV映像でも見る事ができます。

さてと話がそれましたが、詳しくは下記のサイトの歴史の部分に経緯が書いてありますので、参照にして下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%94%B0%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%A9%BA%E6%B8%AF#.E6.AD.B4.E5.8F.B2

  • 回答者:匿名希望 (質問から35分後)
  • 2
この回答の満足度
  
回答ありがとうございました。

羽田は滑走路が足りなくて
国際便の離着陸が厳しかったので
土地のある成田の田舎に国際便を分けました。

まぁ 成田のしたのも自民党の政治家の利権が絡んでいたんでしょうけどね。

両方で国内 国際線と組めばよかったのに
その辺がお役所仕事なので
今みたいな事になってしまったのです。

  • 回答者:匿名希望 (質問から9分後)
  • 1
この回答の満足度
  
参考になりました。回答ありがとうございました。

関連する質問・相談

Sooda!からのお知らせ

一覧を見る