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あなたが喪服を着るのはなぜですか?

質問や回答を見ていると「変だと思われたら嫌だから」「文句を言われたくないから」
そんな理由で着ているように見えます。
いえ、喪服の事だけを言っているのではなく、万事においてです。
心というものが置き去りになっていると感じることが多いので、質問しました。

===補足===
喪服を着るのはおかしい、仕来りや、古くからの習慣に意味がない、
などとは一言も書いておりませんし、
寧ろその逆なのですが、勘違いされた回答が多く、残念です。

私は、喪服を故人を偲び、悲しみを表すために着ています。

  • 質問者:サラダ
  • 質問日時:2010-08-13 10:12:53
  • 1

回答してくれたみんなへのお礼

お答えいただきありがとうございました。
エラーで満足度の設定が出来ませんので、終了させていただきます。
後日、やりなおしてみます。

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一番に思ったのは、葬儀や法事の場では当たり前だから。でした。
それが礼服だからです。

そして、何故か?と考えれば、喪に服する気持ちを表すためだと思います。
気持ちは、見えません。
でも、服装は見えます。

喪服を着るということは、哀悼の意を表すためだと思います。

個人的体験ですけど、以前、黒服だけど結婚式にきるようなレースのヒラヒラした服をきてきた人がいて、常識を疑いました。
まだ若い兄弟を兄弟を亡くした時だったので、本音を言えば叩き出したいくらいでした。

上手くいえませんが、例えも服でなくても、その場に相応しい服装や態度があると思います。

大学生さんで、その時は喪服でもなく学生服でもない地味な服装なだけの出席者もいました。
でも、その人の表情はとても沈痛で、心から故人を悼んでいるのが伝わってきました。

服装も大事ですが、気持ちも大切ですね。
外に現れますから。

  • 回答者:匿名 (質問から14時間後)
  • 0
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悲しい気持を表現するためにきています。

  • 回答者:あみな (質問から12時間後)
  • 0
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叔父が亡くなった時のことです。
作業着姿の汗まみれの男の人が祭壇の遺影に走り寄って言いました。
「本当にありがとうございました。俺が今こうしていられるのは全部先生のおかげです。。。」
最後の方は涙声になり私には解りませんでしたが深々と遺影に頭を下げたあと、しわくちゃの香典の袋を祭壇に置き、遺族にもまた深々と礼をして帰って行かれました。

喪服は故人を偲び悲しみを表すために着るもの、その通りです。
私もそうやって何度も喪服を着て来ました。
でも汗まみれの作業着でも彼の悲しみが十分に伝わって来て
遺族の人たちも皆泣いていたことを忘れることが出来ません。

  • 回答者:匿名 (質問から9時間後)
  • 1
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喪服を故人を偲び、遺族の心を察し、悲しみを表すための礼服と考えています。
普段、礼服を着ないので、せめてこの時だけは。と思って着用します。
心は見えないけど喪服は見える。
見えない心はわからないけど喪服は見える。
見えない心を表す心映えと考えます。
心の表現の一つと考えています。
形式と言われるかもしれません。
しかし、日本文化は型から始まるように思います。
剣道も、空手も柔道も、お花も、お茶も、舞踊も。。
「型から入って心に至る」という言葉もある。
心さえあればいいと言う人に限って
心が無い人を、私は見すぎました。

  • 回答者:とくめい (質問から8時間後)
  • 1
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日本は特に形式ばかりにこだわって
本来の死者を悼むという事が置き去りですよね。
私も昔からそう思ってます。
非常に残念なことです。
どんな格好だろうが香典も無かろうが
ただそこに来て涙して家族を元気づける、それだけでいいのにね。

  • 回答者:匿名 (質問から8時間後)
  • 3
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黒が派手派手しくないから。

  • 回答者:匿名 (質問から7時間後)
  • 1
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私が喪服(制服)をきる理由は故人がとても可哀相だからです

例えば自分が病院で入院しているときに隣でゲームなどをされているととても嫌な思いになると思います

それと同じことだと思います

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私は喪服ではないですが、黒い服をきます。
故人をおくるときに派手な色の服を着る気持ちにはなれません。

  • 回答者:匿名希望 (質問から6時間後)
  • 0
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昔から喪に服すという意味で着ますが
なんと言うか..喪服を着て服が形式で着て行くにしても.送りだすなくなった人に
対しての思いいれが伝わるかの方が大事だと思います。

  • 回答者:匿名 (質問から3時間後)
  • 0
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そうですね。
形だけにとらわれています。
できればきたくないです。

  • 回答者:匿名 (質問から3時間後)
  • 2
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形式が整うということは、それだけ支持されてきた歴史や意義があるからです。
おかしいと思うなら、なぜその習慣ができたのか学び、考えるべきです。
それを学びもしないで「形式だから」という理由で嫌うのは、あさはかだと思います。


古人の知恵や、伝統的な習慣に、敬意を込めて,従える慣習には従う。
私は、そう考えます。

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私が喪服を着るのは、親族である場合は 喪に服すことを表すため、
参列者としては、亡くなられた方やご遺族に哀悼の意を表すためです。
服装は気持ちを表すものです。悲しい気持ちのときに明るい派手なものを
身に着ける気持ちにはなれませんし、思いが伝わらないと思います。
もちろん、訃報を聞いてかけつけました、というときにはその限りではありません。

特に葬儀は儀式ですから、場にふさわしい立ち振る舞い、装束があるのだと思います。
一般的な人間が持つ感情を抽象化して普遍化したのが、儀式であると思っています。
形骸化はいただけませんが、儀式を執り行うことで、表現される人々の思い。
喪服もその一つだと思います。ですから国によって時代によって喪服も変化するのです。
現代も地方地方で少なからずの違いがあると思いますが
(白装束で額隠しを着けるなど)、この『時代に生きて、
死者を弔い、魂の平安を祈る場にふさわしい衣装をまとうことは、
私には軽んずることができません。
心が感じるものをどう表すか、ご遺族の心情にどう添えるか、喪服をまとうことで
それらを表現しているのです。

「変だとおもわれたくないから」「文句をいわれたくないから」
この理由も、自分本位のように聞こえますが、社会秩序は
少なからずこういった思いで成り立っているとも思います。
秩序を守り参列することも主催者に対する敬意、礼儀です。
葬儀は個人的でありながら、やはり社会的な儀式です。
葬儀に限らず、儀式、式典に与ることでその一員となる、
個々の思いを儀式の祈りにのせて、その会衆と気持ちを同じに
できることに意味があると、私は思っています。

喪服を用いることで、それらの感情を学習することにもなると思います。

心は置き去りにしたくはありませんね。

  • 回答者:空 (質問から41分後)
  • 3
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正直、型に捕らわれすぎてて
凄く嫌です。
喪服 礼服 なんか嫌です。

  • 回答者:匿名希望 (質問から30分後)
  • 3
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皆が着てるからです。
皆が私服だったら、私服を着ていきます。 しょうがないです。

  • 回答者:匿名希望 (質問から24分後)
  • 1
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周りの人に何か言われるかもしれないから着ています。
私は故人を思う気持ちがあれば服なんて何でもいいだろうと
思ってるんですが、周りにいる人が心無い人ばかりのせいか
喪服じゃないといろいろ文句を言う人がいるんです。
私は自分が我慢して喪服を着て丸く収まるなら
それでいいと思って喪服を着ています。
本当に心がない形式ばかり気にする人が増えましたよね。

  • 回答者:匿名 (質問から22分後)
  • 0
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日本は形式美を重んじる国のため、何でも格好から入ります。
なので私も喪服を着なければならない場面では着ます。
心が置き去りになっているか、ということについては、私はそう思いませんね。
それは、喪服で身なりを整えることが死者に対しての最後の礼儀だと思うからです。

  • 回答者:匿名 (質問から20分後)
  • 1
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葬儀の会場で服装でとやかく言われて悲しむ時間を割かれたくないからですね。
故人を悼み送り出す儀式において、小言を言われるほうも言うほうも
葬儀に集中(という言い方は変化もしれないですが)
心をこめて送り出してあげたいという気持ちが薄れてしまうからだと思います。

  • 回答者:匿名 (質問から14分後)
  • 0
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私もそういう理由でした。
何か浮くのが嫌で着たくないけど仕方ナシでした。
服が窮屈でクリーニングだすのも・・・大変。
決して心が置き去りと言うわけではないのですけどね;;

  • 回答者:匿名 (質問から14分後)
  • 2
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最近の日本では哀悼の意を表す色として定着しているため喪服を着ることがあります。
諸外国を見てみると、黒を喪の色としている国はあまり多くなく
平服に近い服装で、葬儀に立ち会うことが多いですね。
ほんの100年前の日本では白が喪の色でしたから、時代と共に変わりつつあると思いますよ。

  • 回答者:匿名 (質問から9分後)
  • 2
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その指摘はいろんな場面で現在見受けられると思います。
形式的なものになってしまっている行事などもあります。
自分もその一員になっているものもあります。
ただ、継続するということも大事なことです。
ご指摘のようなことを常には持ちえませんが、考える感じていくことも大事なことだと思います。

  • 回答者:匿名 (質問から6分後)
  • 1
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