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三国志で、諸葛孔明が劉備玄徳軍ではなく、曹操軍に入っていたら、曹操は戦をあまりせずにも統一を果たしたと言えますか。

===補足===
曹操はたしかに作戦を自分でたてれる人物でしたが、同時にライバルの袁紹とは違い、有能な人物を厚くむかいいれ、有能な参謀の作戦もよく聞きいれていた(かくかの作戦をよく使う)と思うのですが、いかがでしょう。
また孔明抜きで、呉と、劉備軍の同盟関係はなかったと思うのですが、そのへんもよろしくお願いします。

  • 質問者:みき
  • 質問日時:2010-01-18 18:36:31
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曹操は戦をあまりせずということはなかったと思います。曹操はあくまでも自らが戦場にでて指揮することで軍団を率いていたわけだし。
劉備と孫権の同盟は孔明抜きではなりえなかったと思います。

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曹操側に孔明が加わった場合、真っ先に劉備を流浪の身であるうちに討つように進言する可能性がありますね。
仁徳の人として慕われており、中山靖王の末裔でありますから、場合によっては曹操のやり方に不満を持つ各領地の諸将や人民が徒党を組み、反曹操連合軍の大将として劉備を担ぎ出すことがあり、そう簡単に統一するのが難しく、後々の災いになるかもしれず、先見して討伐するように言うかもしれません。
曹操が孔明の意見を聞き、劉備討伐をすれば問題ありませんが、もし曹操が劉備のことを軽んじ、孔明の意見を無視して劉備討伐を後回しにしていたら、その間に劉備に龐統のような軍師ついた場合、孔明は曹操にまず最初に「天下三分の計」をしてから、その後に統一するように話をする可能性があるかもしれません。
司馬徽が、劉備に「臥龍と鳳雛のどちらかを得れば・・・」という話をしているように、孔明VS龐統という形で、今とは違う別な三国志の話になっていたかもしれません。

  • 回答者:ドジっ娘バンちゃん (質問から5日後)
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諸葛孔明が、曹操に迎えられていたら、「天下三分の計」を披露する機会が無くなり、歴史の表舞台に現れなかったかも知れない。(仮に曹操の前で「天下三分の計」なんて主張したら、ほぼ間違いなく、クビではないかな?) いずれにしても、諸葛孔明が劉備に付かなければ、劉備もまた、冴えない傭兵隊長止まりで一生を終えていたと思う。それはそれとして、劉備や諸葛孔明が居なくても、曹操軍と呉の孫権軍との戦いは、良い勝負だったと思う。遠征と急拵えの水軍では、あの当時、やはり曹操軍の敗北だった思う。そして、天下二分の計が成就していたと思う。

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孔明抜きで劉備が蜀を建てる事は無理でしょうから、曹操が統一を果たす確率は高かったと考えます。

  • 回答者:匿名 (質問から9時間後)
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難しいと思います。
赤壁の戦いは史実通り発生したと仮定(結果も史実どおり敗退)して、その後劉備が孔明無しで蜀を攻略するという戦略を立てる可能性は非常に低いと思います。その間に曹操が西涼平定後、漢中を得て蜀を攻略すれば、戦力としては圧倒的となります。こうなると劉備は何も出来ず、魏に敗れて滅ぶか、呉の客将になるしかないと思います。後は呉だけですが、曹操の代で統一できるかは微妙です。曹操の寿命が尽きる可能性がありますし、220年頃は呉の国力は高かったのでこれ以上は想像が全くつきませんね。
あと孔明ですが、他の人が答えている通り仕官しないかしたとしても重要な役には付かなかったと思います。

  • 回答者:R-RURU (質問から6時間後)
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諸葛亮は、幼少時代を徐州ですごしています。そのころ、曹操は私怨で徐州の住民を虐殺し、その戦乱を諸葛亮は一家で逃げ、江南の地に移り住んだ経験があるので、曹操の野望を阻止しようという義心から劉備に力を貸したのです。
曹操の傘下に入ったとしても、献策しなかったでしょう。
諸葛亮の学友、徐庶も同じです。ただ、徐庶の場合は、優秀な彼でさえ人材豊富な曹軍の中では一士官レベルになってしまったともいえますが。

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それは、無理だったと思います。
諸葛孔明がすばらしい軍師として評価されるのは
劉備玄徳という大きな器の人物につかえて、
お互いに、相性があつことからだと思います。
曹操は、どちらかというと、本人みずから、
作戦等をたてるタイプの人物なので。

===補足===
確かに、ライバルの袁紹と比べると、曹操のほうが、
当然、優れているとおもいます。
しかし、諸葛孔明が軍師になったとしても、どうだったのか。
人間には、相性というのは、必ずあります。
劉備元徳と諸葛孔明は、そういう運命だっのかもしれません。
今となってもは、わかりませんが。
あの時代では、変わらなかったと思います。

  • 回答者:たろうべい (質問から5時間後)
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減ったとは思いますが・・・、曹操は自分にも知があったのでそこまで・・・。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から3時間後)
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減ったと思います。
圧倒的な軍備を見せつけることで降伏させる機会が
増えたろうと思います。

  • 回答者:K (質問から3時間後)
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それは無理ですね。
人民の為に徳のある人に奉仕するのを目的とされていたと思います。
法を重視する曹操には属さなかったと思います。

  • 回答者:匿名希望 (質問から3時間後)
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おそらく難しいと思います。

曹操は、自らの知恵を頼りにしていくタイプなので、出方を間違えた参謀は追いやられていってしまいます。

うまく立てていくことができれば、何とかなるかもしれませんが。

  • 回答者:孔明 (質問から2時間後)
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孔明は劉備軍にいてこその孔明と思います。
曹操の麾下にいたら、おそらく百官の一人であったと思います。

正史に書かれている孔明の事を言っていますよ。三国志演義に書かれているバケモノみたいな孔明の事じゃないですよ。

毎年のように大軍を擁して北伐するも漢中すら占領できない。背後の涼州は安泰。本人の責任ではないものの兵站で何度もトラブルが起きる。死後すぐに遠征軍中で反乱が起きる。など。軍司令官として若干の不安を覚えます。(人使いが下手なのでは・・・・?)

  • 回答者:とくめい (質問から2時間後)
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曹操が自ら軍を率いていた時期と諸葛亮が活躍を始めた時期は少しずれています。
また、統一したのは司馬氏の晋で、魏は統一していません。

諸葛亮がいても魏にあまり変化はなかったでしょうが、劉備の運命はかなり変わっていたと思います。
赤壁の戦の後、荊州を取ることも、蜀も成立しなかった可能性が高いと思います。

  • 回答者:諸葛亮は軍師ではなく政治家 (質問から2時間後)
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ただ、三顧の礼にもあるように、曹操が孔明を上手く使えてたか
孔明が曹操の言うこと以上の働きをしてたか
孔明が曹操の軍そのものを自分のものにしての天下統一となってかも、、
色々と考えられます
曹操の性格と孔明の性格、難しいでしょうね
元徳が少し暗愚(?)だった事が良かったのではと思ってしまいます

  • 回答者:芭蕉庵 (質問から51分後)
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劉備軍と戦はするだろうと想像しますが、天下三分せず、もう少し早く統一したんじゃないかと思います。

  • 回答者:匿名 (質問から4分後)
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