私も昭和40年生まれです。
全く同感です。
バブルの恩恵を受けず、大学卒業時はバブルが弾けて就職難。
しかも真面目に納めていた国民年金は何年分も消えてしまい、
支払った証拠が残っていないとのことで、今になって第三者委員会に申し立て…。
それでも認められる保証はありません。
私たちより上の世代は、少なくとも年金で支払っただけの恩恵は受けるのに
私たちは支払ったのに支払っていないと見なされてさっぴかれます。
あと、昭和40年生まれとしてもう1つ不満なことがあります。
それは翌年から学習指導要領が変わって、いわゆるゆとり教育に大きくシフトしたことです。
1学年下の世代とは、授業内容はもちろん、授業数自体違いました。
私たちがまだ学校で勉強している時間にさっさと下校する下級生。
しかも彼らは丙午。
出生数が少なくて、高校受験は楽勝。
丙午を嫌がる親達は1年前に駆け込み出産で、私たちの受験は大変でした…。
そして大学受験では、翌年とは学習内容が大きく異なるということで
やはり浪人を避ける風潮が強く、皆が現役合格を目指して競争率が上がりました。
当時、文部省のお偉いさんの子供が丙午の生まれでそちらを優遇しているんじゃないのか?
と同学年の人たちと愚痴を零した記憶があります。
上も下も得をしていることが多いのに、一番貧乏くじを引かされたのが昭和40年生まれだと思います。
===補足===
いえ、私は昭和40年の夏生まれです。
丙午は昭和41年、1~3月の早生まれだったら確かに同級生になりますが
4~12月生まれは1学年下になります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/学習指導要領
のリンク先で言うと
>1980年(昭和55年)~
>ゆとりカリキュラムといわれる、教科の学習内容が少し削減された学習指導要領。~
>小中学校の学習指導要領は1977年(昭和52年)に告示され、
>小学校は1980年(昭和55年)度から、中学校は1981年(昭和56年)度から実施された。
>高等学校の学習指導要領は1978年(昭和53年)に告示され、
>1982年(昭和57年)度の第1学年から学年進行で実施された。
>中学校の選択科目の選択肢が拡大された。
の区切り直前です。
たとえば私たちの世代までは高校で現代国語、古典I甲、古典I乙、古典IIだったのに
1つ下からは国語I、国語II、国語表現、現代文、古典になっています。
このように科目自体、編成し直されています。
質問者さんも昭和40年生まれなのですね?
1つ下の学年の学習内容や学習時間の違いに当時、全く気づきませんでしたか?