外交に必要な要素を日本は持っていませんからね。外交に必要なのは「人材」と「情報」ですが、今のわが国はどちらもありません。政治家は世界観がなく国益という概念を持たない。外交官はお公家さんみたいなもので多少の教養があっても実務能力に欠ける。情報機関がないので(世界の先進国に属する国で対外情報機関が無いのはわが国とニュージーランドぐらい)、核心情報が得られず後手後手になってしまう。北朝鮮あたりでさえ日本より遥かに複雑多岐な情報活動を展開しているのに。彼らはその能力を悪用してわが同胞を拉致した(ちなみに拉致のような工作活動は情報機関の本来の任務ではないし、それを主とするのは邪道)。 このような現状を打開するには憲法9条真理教(笑)の信者と日教組チルドレンを一掃すべきだが展望は思わしくない。始末に負えないのはこういった人間たちが自民党や霞ヶ関にも数多くいるということ(日教組的世界観の岡田外相が通産省出身であることをみれば納得)。 もっとも対等な外交といっても歴史的にみてわが国が比較的フリーハンドで(外国の顔色を伺わずに)外交を展開した時期は殆ど無いという事実にも留意すべき。幕末以来の不平等条約が改正されたのは日露戦争勝利後の明治44年であり、それ以後も結構米英のご機嫌を伺っていた。第一次大戦時に彼らの要求を受けて地中海に艦隊を派遣していたことなど、現状(海上自衛隊のインド洋派遣)とオーバーラップしないだろうか。またシベリア出兵も日本が積極的に行ったというよりは連合国との協調の結果行ったものだという事実もある(出兵の決定に当たり当時の幣原外相と駐日アメリカ大使が事前協議を行い、日本のシベリア出兵の決定に対しフランスのクレマンソー首相は歓迎声明を出している)。そのころの日本は世界有数の軍事力を有しており今日とは異なり自主防衛の国家だったことを考えてみれば、強大な軍備さえあれば外交で主導権を取れるというのは幻想である。 また「敗戦国だから対等外交は無理」なんていうのはそれこそ負け犬の論理であろう。このことは、たとえばフランスは先の大戦で決して戦勝国とはいえないが、現在そこそこの外交を展開しているところを見れば理解できよう。これはフランスは外交を展開する「要素」を保有していることによる。ちなみにフランスは自主防衛の国と思われているが、実のところ冷戦時代にはNATOつまりアメリカの軍事力に大きく依存していたのは専門家のうちでは常識である。これからみても軍事力のみで外交が左右されるものではないのは明らかである。「自衛隊の国軍化」が急務であるのは自明の理だが、外交というのは総合的な力で行うものであるから、日本が外交に必要な「要素」を身につけない限りたとえ核武装しても現状は変わらないし(核武装しているイスラエルやパキスタンが絶えずアメリカの顔色を気にしている事実に着目。もっとも彼らは日本よりは遥かに自主的に動いているが)、日本自身が変化することができるなら希望もわいてこよう。
===補足===
日本の自主外交を考えるために参考となる文献を挙げます。→「フランスの外交力~自主独立の伝統と戦略 山田文比古 著 集英社新書」