今の子供は、カタカナが満足にかけない事は知っています。
携帯やPCの普及によって、文字を読めても書けないことが漢字でのみとどまらずカタカナにまで及んできたそうです。
授業中にノートもまともにとったこともなくサボっていたりしてきた子においては
文字が異常に下手クソで、それがトラウマになり、文字を書かなくてはならなさそうな仕事を避けて仕事を選び、ひいてはそれでなくても就職難の時代にあぶれてしまった子を知っています。
そのこは女の子ですが、もう21歳でありいまだにパチンコ屋やカラオケ屋を点々としていて本人も悩みながらも前へ進めないという哀れな状況です。
彼女は、ひらがなすら読めても書けない文字があるそうです。
近所に居る警察官の人に聞いたことがある話では、万引きで検挙した20代前半の女子に文書を書かせたとき
鼻にぬけるようなはっきりしない言葉使いで
「おまわりふぁ~ん~「ら~」てゆー字~ふぁ~ろ~かくんれすか~あ?」
「訳:お巡りさん、「ら」という字はどう書くのですか?」
といわれて、しばらく絶句したことがあるそうです。
シンナーでらりっているわけでも無く、普通の健康状態での出来事だったそうです。
===補足===
コメントありがとうございます。
ゆとり教育の意義と不安定さにはクビをかしげますね。
うちの子供が(20歳)一年生になったとき、つまり平成へ変わった年度に週休二日が本格的に学校にまで施行されました。
その前の年だぅったかと記憶していますが、社会科が生活科とな理科の生物分野と合体しました。
休みを増やして家庭での暖かさなどを味わえる心豊かな子供をという建前は
休日は塾通いで更に忙しくなった子供たちを作りました。
充分に外で遊べない子供が欲求不満で更に勉強もはかどらなくなり、お金のない子は簡易化された学校の勉強のせいでどんどんオチコボレて学習意欲をなくしたのではないかと私は思います。
児童ではなく先生にとってのゆとりになってしまっているので、これでは意味がないと思われます。