何と言っても印象深いのは、「赤いスイトピー」、それに「青いサンゴ礁」ですね。
私が、就職した年の昭和54年か、55年ににデビューしたと思います。当時、松田聖子のお父さんは、私が勤務する役所の隣の隣りである久留米社会保険事務所の所長をされていました。
デビューしたての頃、まだ当時は活況を呈していたダイエー久留米店にサイン会で来るという掲示がなされていたのを記憶していますが、結局行きませんでした。
今から思うと、こんなに売れる歌手になるとは思いませんでしたから、行っておけばよかったと後悔しています。